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令和の慰霊祭⑤

  • 2020-04-24 (金) 11:58
  • 神祭

つづき。

さっそく吉田神社に到着いたしまして。

さて、人が来ない内に準備をして祈りを始めよう!・・・って、意気込んでいたのですが、神社に着いてすぐに気づきました・・・・

「人が何人か居ます。。。。」

丁度、運が良いのか悪いのか、吉田神社真横の『社務所』が建て替えの途中でして、すでに現場に着いていた大工さん4~5名が朝一番で仕事をおっぱじめている最中・・・・(大汗)

不測の事態には慣れていたものの、さて、ここで意見が分かれます。

大工さん達に断りを一言入れて、祈ろうとY君。

吉田神社の裏に丁度、小高い山があって頂上には岩があり、そこまで移動して祈ろうと、わたし。

別に悪い事をしている訳ではないのですが、普通の参拝と違って山の様に持って来たお供え物。これをお供えするには、賽銭箱の前にある小さな2段の階段を使うのがベスト。

いざ祭を始めたら止める訳にはいかないし、途中で声かけされれば面倒にもなるし・・・・

あ~困りました。こんな時、ウチの師匠だったら迷わず、所構わず、「神様の依頼なんだから。」と、神祭をはじめるよなぁ~・・・・と思案しつつ、世間体というか、なるべく周りに迷惑を掛けたくないし、自分の今の立場を考えれば、そこの宮司さんに連絡されて面倒な話にもなりたくないし・・・・・。

いろんな葛藤があったんですが、決めました。

神社の前で供物を並べて、神祭強行案を採用っ!

皆に伝えて、軽く大工さん達に挨拶をして、いそいそと供物を並べる。

(あ~Y君がいてくれて本当に良かった・・・・)

内心、思いました。自分ひとりであれば、きっと山の上に登って神社を見下ろしながら祈っていたに違いありません・・・・いらん時間を使ってしまった。中途半端な社会人になってしまった自分が恥ずかしい。。。。

それぞれに、オニギリ・ペットボトルの水、クーラーボックスに入れたたくさんのお供え物、水はY君が別の神社から汲んできてくれたもの、お菓子や大阪さんが持ってきてくれたお酒、前の日から準備してた神社の神様へのお供え物、数えたらキリがなく、ずらりと並べればあっという間に賽銭箱前の階段2段を占領してしまうぐらいの量・・・・

本当は記事の為に写真を撮りたかったんですが、神祭に集中したかったし記事の為の写真は本末転倒になると考えて遠慮いたしました。

お供え物の準備も終わり、家で祈りの待機をして下さっているY君の奥さんとKさんに連絡。

「それでは、今から祈らせて頂きますのでお願い致します。」

言挙げ

2020年3月24日。本日は、洞水・連岳(神様に付けて貰ったY君の名前)・大阪より大阪氏・地元よりT(T君の地元は糸島)、また自宅では連岳の妻とK氏。この地で源平合戦で亡くなられた方々の慰霊祭を執り行なわせて頂きます。

約840年前にはじまった、治承・寿永の乱より約6年もの間、数え切れぬ多くの源氏・平氏の方々、ある方々は未だにあの世で戦を続け、ある方々は今もって深く冷たい水の中、または地上にて屍となられ永眠もできず悲しみに明け暮れ、まさに幽世の牢獄というべき場所に入れられたままだと伺っております。

戦後75年経った現在の物にあふれ平和ボケといわれる時代に生きている私どもには命の取り合い等、想像もつきませんが、当時の方々と申し上げても同じ人間、当時の慣わしで身分の差はありましてもその中で独身の生活もあれば、家族、女子供を守り、質素な暮らしをひたむきな心で繋げてきた方々がほとんどではないでしょうか。

またその中でも、一族やその繁栄を守るため、家族を守るため、土地を守るため、信念を守るために戦い抜いた方々もいらっしゃれば、訳も解らず生きる為に恐怖と不安の中で相手を殺し、その恨みつらみが重なり、暦は違っても本日の3月24日、雌雄を決した壇ノ浦の戦いまで、今現在でも凄惨を極める戦のひとつとして歴史に残っております。

日々に私どもも、それぞれの問題やそれぞれの場所での苦労はあっても、死に至るまではほとんどない、ありがたい時代の中で生活させて頂き、源氏・平氏の争いの中で亡くなられた方々に祈りを挙げさせて頂くとは本来、おこがましい行為だとも思います。また、私どもたった数名の祈りで、皆様方が決して満足して下さるとは露ほども考えておりませんが、こうして今日の日にご縁があった事、またここに鎮座されておられますスサノオ様をはじめ、櫛稲田姫様・天照様・菅原道真様・宇賀魂神様・五十猛神様・埴安神様、そこに宗像三女神様をお迎えに上がり、少彦名様の力をお借りし、本日は皆様方に少しでも心安らげる一日を送って頂きたいという心ひとつで祈らせて頂きたく思っております者たちです。

皆様方が必死になって守ろうとしたものや存在、今の日本をみればおなしな流行病が世界を覆い、国内の争いだけではなく、国が国を犯そうとしている中、政治に至っては各々が己の利だけを守り満たす為だけに責任のない場所から足を引っ張り合い罵り合い、わたし個人の意見にはなりますが当時の方々よりみれば悲しみを通り越し、怒りに。怒りを通り越しまた悲しみにと繰り返し感じられても当たり前の気がしております。

今年は4年に1度の平和の象徴であります、日本開催のオリンピックもこのままいけば流れてしまうのではないかとの話も出ています中で、もう一度真剣に1人1人が平和の本来の意味、国や家族・一族を守るという事、しいてはまずもって自分自身の一生、何を大切に考え生き抜くかを日本国民全体がもう一度よく考えなくてはいけない時期にきているのではないかと、そう感じております。

源氏・平氏と別けてみても元は同じ一族、血の通った人間同士です。

それぞれの大切なものを命を賭けて守る戦いだったとは重々、承知しておりますが、本日はあなた様方々の慰霊の祭り、神々様が見守って下さる中での和合の祭り、新しき一歩の祭り。

準備も心も足りぬ者たちばかりではございますが、これより先も皆様方々の歴史と事実だけは後世にしっかりと残し、それぞれの教訓とし、私どももまた忘れることなく、日々に大切なものの為、努力させて頂ければと思います。

最後になりましたが、重ねて私どもの祈りは本当にささやかなものです。この吉田神社にご鎮座されておられます、スサノオ様をはじめ、櫛稲田姫様・天照様・菅原道真様・宇賀魂神様・五十猛神様・埴安神様・宗像三女神様・少彦名神様方々、どうぞ治承・寿永の乱で亡くなられた方々のお一人でも今日は心穏やかに過ごして頂きますよう、また1人でも多くの方々が神々様のご神威の元、上の世界へ上がられますよう、お力をお貸し下さい。

本日は心ばかりの物ではございますが、多くの供物をお供えさせて頂きました。これらは後ほど、連岳より言挙げさせて頂きます。どうぞお受け取り下さい。

令和2年3月24日  一同

言挙げの中で、お供え物の種類はY君(連岳)に挙げさせた方が良いとの兄弟子からアドバイスを貰っておりましたので、その部分はY君に読み上げて貰う。

この言挙げは自分的にですが、随分と悩みました。

本音を言えば、命を賭けた戦で亡くなられた方々を、例え神々様の力をお借りしても上にあがって頂こう、、、、、、との行為は自分たちにとって、とてもリスキーな行為だという事。

こんな事書いちゃうと亡くなられた方に申し訳ないのですが、あまり良い神祭が出来ず(心が足りず)ひとりでも幽霊さんを家に連れて帰っちゃうと、参加している仲間に覚悟があっても家に帰れば1人の父親であり、会社員・経営者。その後の日常にどんな障害をきたすか解りませんので亡くなった師も人間的にいつもここを一番気にされていた気がしております。。。。

なので、まずは『慰霊祭』という名目でさせて頂きました。

が。

これも師の受け売りですが、

「神の祭りは、人の祭り」

つづく。

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