神筆トップ > アーカイブ > 2019-10

2019-10

西の岩戸神祭⑯

つづき。

その時の神示は探さないといけないので、先に経緯と結果のみ、お伝えしておきます。

彦山で繋がった神さまが通る道は、海へ続いていく
今後の地震と、それに伴う津波を少しで減らす為、和らげる為に
岩戸の力はこれからも、海を伝って北に向けて日本を守ってくれる

この様な内容だったと思います。

具体的な内容は、

・糸島の櫻井神社に行く。そこは海嶺界と繋がった扉があるので、開いて貰う
・芥屋の夫婦岩の大鳥居に行き、そこから海に向かって祈ること

祈るのならば、やはりここは日頃、満潮時には海に浸かっている大鳥居の下から祈りたい。

干潮の時間を調べて貰い、そこから逆算して海に行くのは夜中になってしまいました。

それでもY君は車を出してくれ、大阪さんはわざわざこの日の為に再度、大阪から駆けつけて下さる。

定刻となり、まずは櫻井神社へ。

境内で祈らせて頂き、そのまま拝殿・中殿・本殿が三つ並んでいる櫻井大神宮へ足を運び、祈りを通す。

神様の許可を頂き、芥屋の大門 大鳥居へ移動。

お酒を一升、海に流し大鳥居の下より三人並んで祈りを通す。

すみません、急ぎ足になりましたがこれで「西の岩戸神祭」は終わりです。

また記憶が定かではないので、再度、Y君やAさん、大阪さんに確認して間違いがあれば正しておきます。

今日は、祈りの為に山に登ってきました。

この話はいつか機会があれば。

今は台風19号の自然災害の被害報告をニュースで観る度、心を痛めております。

被害に遭われた地域の皆様、お見舞い申し上げます。

ここまで読んで頂き、ありがとうございます。

西の岩戸神祭⑮

つづき。

その頃の師の容態は、全体的に悪くなりながらも良い状態と悪い状態を繰り返し、それでも神祭が無事に幕を降ろし、今から立ち寄って良いかと電話確認をした時には嬉しそうな声を出してくれていたと記憶しております。

本当に体が辛い中でしょうが、昔と同じように笑顔を絶やさず迎い入れてくれる。

大きな神棚と、大の大人が5人も入れば少し窮屈になる部屋の中で、、、、、その時の会話は残念ながら、ほとんど憶えておりません。

が、今日はそれで良かったこと。

その言葉を聴いた瞬間に、ホッとしたのか一気に疲れが来てしまって、その後の記憶は全くなく。

その日、大阪さんは福岡で予約してくれていたホテルに泊まり、一同解散。

ちなみに次の日は、Y君と大阪さん、再度師の宅へ帰りの挨拶をして来て下さった様でして。

残念ながら、わたしは仕事でしたので案内をY君に頼み2人だけの時間を過ごして貰いました。

次の日か、数日経ってか。

一通り、参加して下さった仲間に異変がないかと電話を掛けて確認した所、Y君と大阪さんから出た一言が、今でも忘れられません。

「おじさんが2人にお逢いするのは、これが最後かも知れん。」

言葉の通り、2人が師と逢ったのがこの日が最後の日となりましたが、ずーっと長々とそれぞれに筆書きをして下さったようです。

最後に、

「まだ祭りは終わってないかも知れないね。」

その言葉を2人から電話で伺いました。

直接、お礼をと思い数日後、お見舞いを兼ねて師の宅へ伺ったところ、

・お前は良い仲間を持って幸せだな。2人はきっと良い神祭仲間になって下さる
・おそらくこの祭りはまだ終わってはおるまい。いずれ連絡が来る

この二言だけ聴いて、長居はかえって師の体に障ると思い、家をあとにしました。

それから日を空けて、師の預言通り次の祭りの指示が来ました。

つづく。

西の岩戸神祭⑭

つづき。

すみません。ボサットしている間に師が他界してしまい、更新できぬ日が続いておりました。
気づけば最後の更新から、一年以上の歳月が流れておりました。
申し訳ございません。

かなり記憶が薄れてしまっておりますが、憶えている事だけでも記しておきます。

「西の岩戸神祭⑬」で書かせて頂いた言挙げが終わった後、どんどんと雨の強さが増す中で私たち4人は祝詞を挙げ続けました。

時間にすれば30~40分程度でしょうか。

いつも祭りの最中はほとんど時計を確認しませんので、終わって、逆算してからのおおよその時間です。

祝詞の途中で二度、拍手を打ち、一旦皆さんの祝詞を止めさせて頂いてから、再度、言挙げを行う。

これは最初の言挙げと違って、自分の心を再度、落ち着かせまとめるため。

そして、一緒に祈ってくれている仲間に聴かせる為。

その二つを一つにまとめ、再度、強い想いとして神界に届ける為。

人の集中力はどれ位、持つものでしょうか?

わたし達は日頃、何不自由なく暮らし、特別な修行もなにも行っていない、いえば祈りの『素人』。とにかく昔からわたしの主義ですが、「質より量」。祈って祈って、祈り通すぐらいしか思いつきません。

雨風が激しく、両方に立てたはずの榊が一個、倒れる。

それでもなお、そのまま祈り通します。

いくら木陰とはいえ、所詮は木の下です。

ただただ、集中して天津祝詞を奏上してくれている仲間たちに心から感謝しながら、それでも自分たちの祈りが何かしらの、少しでもお役に立てて頂ければと真剣に声を張り上げる。

時々、目を開いて西の岩戸を見ていると、雨に打たれながらカタツムリが一匹。

岩戸を昇ったり、降りたりを繰り返している模様・・・・・・

祈りの最中でしたが、不思議とぼんやりとそのカタツムリを眺めながら、これもぼんやりと、

(あのカタツムリが倒れた榊まで到達した時が終わる時だ)

なんて何の根拠もない事を頭の片隅で祈りながら、天津祝詞を挙げ続ける。

そこからまた何分経ったかは憶えておりません。

ジワジワと歩いていたカタツムリが、倒れた榊に到達する寸前・・・・・・

「パタン」

と二つ目の榊が風に煽られて、倒れる。

(よし、今だ。幕を降ろそう。)

それは自然にそう思って、そのまま自然に二拍手を打つ。
(祝詞を終える合図)

再度、今日の神祭のお礼と今後のことへの祈り、そして神々様の益々のご繁栄とご開運を言葉に、雨の中、4人は山を降りました。

その足で、師の宅へと向かったのです。

つづく。

神筆トップ > アーカイブ > 2019-10

検索
Feeds
Meta
神筆携帯版
カウンター

このページの上へ