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出雲神國之御祭⑮
つづき
ここでは祈りの途中(もしくは山神供養が終わってからか)、数人の参拝者がいらっしゃいました。
自分達の祈りは長いので、一旦、祈りの場を譲り身をひく。
参拝者の方々の邪魔にならないように、またここは想いを途切れさせることなく集中して祈りたかった理由もございましたが、、、、山神様の供物は並べたままでしたので、参拝者の方々も何かあるのかと驚かれたことでしょう。
神示 洞水
古を紐解けば、偉大なる神の御心によって
多くの者が生かされ、多くの者かこの世から亡くなり、
それを今もなお見続けせめて苦しき想いあるものには
痛めた部分を施しやすらぎ鎮め、
荒ぶった魂もつものも静かに慰撫し、
いづれその者達の基あって平和な世がきますと
口々に申してみても、今の世をみて心騒ぐは
私どけではありますまい。
此度は改めニニギ殿に立って頂きニギハヤヒ殿と
つながります祭り、私一人では限りあっても多くの
集いし神の力を集め説得して、
私の社はこの地のヒナ形こわれかけ、
またそなた様達申す結界とよんでおるもの敷きなおし、
心おだいに安らけくシメナワ張り直した事にも
ございます。
少し間をおけば別の神々も口を開かれましょう。
まずはご苦労様と申し伝えましょうか。
八女津
神示 Y
さて、このたびのそなたらの事挙げ、思いしっかりと届いておるよ。肩肘張って力入れることはないが、気楽にするというでもない。其方が先日申したように、時には強い思いで先につないで行くことかの。そなたが心配せずとも思いある人は育まれておるし、其方らの思い、神々の思いは波のように伝播してゆくもの。一つ一つ手伝うてもらうことあるが、共に歩んで参ろうぞ。今日の決意、思いわすれずにそなたの真ん中におること望んでおる。
ニニギ
この地を治めて長い年月が経っております。人は生きている以上、争いは絶えることなく、現在でも戦いの形は変われども、血は流れております。戦いの形は変わっても、理由は変わらず、心変わらぬかぎり終わることはありません。其方らの平和を思う心、数少なくとも持ち続けてください。人を愛し、自然を愛し、他を思う心育めば、その事が己の幸せにつながること覚えていてください。
八女津姫
神示 洞水
さての、いくら尻を叩いてもなかなか進まぬが
今の時の、人の特徴とでもいうてはおくが
そう事態や時代は笑って済ませられる
ものでもなくての。
結局は、誰かが紡がねば先には進まぬしの。
それを誰かがやるだろう、己ではなかろうと時々、
心で浮かべては過ぎれば早い人の世を想い残して
去るのもひとつの罪といえばそうなるが。
洞水にいくら頭を柔らかくと申しても、
心だけは豆腐のように柔らかくし過ぎて、
これではいづれ形もなにも崩れようしの。
しかし、頭の芯はまだ固くもあり、
この前の集まりも遠くよりは眺めみておったが、
神との祭りとしても冷たく申せば、
鶏が先か卵が先かと、それぞれが己の頭の中身を
広げ知識を持ち出し、まこと無駄な時間を流して
おるだけの話での。
神の祭りとは、未来でもなく結果でもない。
いえば、己らの魂の熱量によってかたまれば散り、
散ればかたまる雲のようなものでの。
それでも1人1人の心をみれば、
寒さに身をかためながらいろいろな己の理屈を
こねてもそこには春のそよ風も、
熱き魂を焦がす熱風も感じておること違いなく、
ここまでわしが口を開くにはぬしらを信じる
心もあって、また真の神々の光を通すに
ぬしらの魂しか見当たらぬが良いか悪いか、
まことの話での。日が昇れば、
また新しい力も加わってこようし、
今は大切な時、風邪だけはひかぬよう
あたたかくしておくことじゃよ。
天神さて山本殿、己の生きてきた道のりの意味を知り、
高江殿、己の魂の力の出口を知る。
赤穂殿、己の広さを知れば高さも自然、
ついてくる。今はそれぞれ加えるよりも、
洗い流して祈りの中で素の心を見つけだせば、
また光り方も変わり照らされし道も家族も
変わってこようて。
今はそこまでしか話せぬよ。
天神慌てぬこと。考えねばならぬが、
考え抜いて気づける頭ではあるまい。
迷えば、のんびりと自然に心を浸せば、
そもそも初めよりあったことに気づく。
わしのように頭をからっぽにすればよく、
考え疲れ想いつかれても行く先が
同じなら時々は行き方に頭を使えよ。
久延彦わしはの、ぬしらが想像もつかぬ昔より
待っておる。
それだけしか今は伝えぬ。
ニギハヤヒ時が急いておる時。神々は、
あなた様たちを想うて急くなと
伝えくれておることのみ。
人である以上、亡き人の念に惑わされるのは
世の常でございましょうが、
では肉体もって生きているあなた達と、
肉体なく思念体のみの人との差とは、
動けるか待つのみか。何かを与えられる
存在であるか、何かを求める存在か。
生み出すものか、受け取るものか。
決してその存在は、ないがしろには出来ませぬが、
知恵だけはお貸しいたしましょう。
情の水を注ぎつつ、それぞれの者、
その器のカラクリを学びなさい。
弁財天さてさて、情はかとう閉めて錠をまもる。
緒方の性格はぬしらが一番よう知っておろう。
緒方よりはじまった祭り、
わしが残した塩の道とは怡土であり、
一本の白い糸での。見事つかんでみせよ。
塩クモというてもクモではない。
わしよりみれば暴れる南の龍神での。
またこれも龍神である八大龍王殿が
今はおさえておるでの。
日が傾く14の時が限刻だとおもい定めよ。
ご神名なし
出雲神國之御祭⑬
3月29日(水)
八女は遠方の為、朝7時に待ち合わせ。自分、Y君、Aさん、T君。
先にご指示があった通り、神社に向かう前にまずはその地に鎮まる八女津媛様を守られる軍勢の方々にこちらに敵意がないこと。
まっすぐに祈りを通させて頂くこと。その許可を含めての、供養(山神様供養)となる。
長年、神事に携わっていても初めて名を聞く「八女津媛様」。
その名の通り、お茶で有名な八女の地域を守られ、Rさんのイメージでは四神旗(朱雀・玄武・白虎・青龍)がみえ、そこから紐ほどけば四神旗は中央に位置するものの威と、周りの場の結界を意味し、その八女地方において何か重要な役割を持たれた神、おそらく当時は強力な軍隊を持たれ、前述したようにその軍隊があの世(神世?)でも未だに八女津媛様とこの地域に誇りをもって守っている。・・・来るものを拒む。
出雲神國之御祭⑫
つづき。
3月22日
八女に行く前に、漏れがないようにY君と一緒に「別所山神社」の久延彦様へご挨拶も兼ね、八女行きの成功を願う。それぞれ仕事があり、現地で待ち合わせとさせて貰う。
以下、祈りを終えてからそれぞれが久延彦様にお言葉を頂く。
洞水筆書き
さての、桜きれいな季節じゃが、
これより先は物見遊山とはなるまいの。
己の我欲があれば、それに連なりし神がつき、
己の欲以外で歩めばそれにみおうた神がおる。
人は人としてあればそれで良き事じゃが、
冷たく申せば人もそれぞれ、
その時の感情もそれぞれ、それが人での。
しかし、これだけは言うておくが、
今より踏み込む道は後戻りはできぬ道。
その心を持ち次の神に会わねば、神に会えても、
想い通じても言葉拾うてもの。
それは真のこの国の先を思う神とは違うての。
では、それは魔やぬしら思う邪な神かと言えば
それも違う。いえば、想いの違う、
古の神々と言うてもよかろう。
天を見上げすぎれば、足元救われ、
足元見続ければ道に迷う。わしはの、ぬしらに
穴に落ちて欲しくもなく、道に迷うて欲しくもなく、
今日は手招きしたまででの。まずは信じることかの。
本気で己自身の芯や根を信じる者のみ、
わしも時々で声をかけさせて貰うでの。
久延彦
Y君筆書き
さて、色々と悩み、悩んでおる様じゃが、
考えたところで答え出るものでもあるまい。
人はその時々で、同じ者でも別の者の様に
考え変わるもの。
右往左往しながら生きておるもの。
己信ずることできねば神信じることできぬ。
反対も同じこと。
火のように強く思うても長続きす?ものでなく、
流れ続く水の様な思いというかの。
力まず、しなやかに流れを変えながら歩むことかの。
しかしその流れは一本の流れ。
枝別れせんよう本流を流れるが大事。
そなたら別れることなく本流を流れてほしいもの。
久延彦
出雲神國之御祭⑩
- 2026-08-12 (水)
- 神示
言挙げ (2023年3月16日 日吉神社にて)
この国を古くより守り導き、大国主の大神と共に地を固め、国をお造り下さいました少彦名の大神様に本日は洞水、Y、皆の心と共に心よりのご挨拶とお願いに上がりました。
先日より塩のおおおじの大神様をはじめとした流れをくむ神々様、そしてご縁ある者らの祭りははじまっております。神々様の想いによって、先日は宗像へと足を運ばせて頂きまして、またこれよりも多くの神々様にご縁をより強く結ばせて頂くことにはなると思いますが、この美しき国、豊葦原の瑞穂の国が地震や津波という自然災害より守られ、多くの人間の暮しを守って頂き有事の際に心乱してしまう未熟な私ども人間の心を穏やかに、より神々様が願われる国や人の心と導いてくださいます事、その為には少彦名の大神様の御力がぜひとも、より大きな力で働いて下さいますこと、厚かましくも心から願っております。
いつもは当たり前の様に、己らの努力や苦労、我慢で日常をすごしていると何も知らない子どものように勘違いし、不満や不平を口にしてはその癖、自分に足りない所を考える時間も少なく、そんな自分を維持する為に内心では鼻を高くして自尊の心だけは三人前。この日常に慣れすぎてしまい、神々様に対しての真の感謝の心、底の底より湧き上がる想いに気づかず日々を送らせて頂いております。この国は神の国、遠き昔より神々様が汗をかき、血を流し、そのなかであっても時に喜びにあふれる想いで今の今まで造り上げて守り、今もこうして導いて下さっている事に感謝の心を忘れ、今回のように有事の際に慌てて祈りをあげる情けなさではございますが、他国をみて今のこの国をみ、遠き歴史をみて今の私たちの心をみるように、いくどの自然災害で苦しんだこと。いくどの戦争で気づかされたこと、しっかりと腹におさめ、より一層の深きところから感謝の心を忘れず、これよりも歩いていきますこと、お約束させて頂きます。
どうぞ少彦名の大神様、ささやかではございますが私どもの心からの祈りをお受け取り頂きまして、この国、そこに住まう人の心、すべてを含めた国造りの御力、お貸し下さいますよう、心よりお祈り申し上げます。 道士一同
祈り後、Y君の神示
神々、造り固めたこの国の礎、
続け、育む者は今を生きる人々。
神々導きはするが今の人、その耳聞こえず、目見えず。
赤子の様に欲に振り回されておる。
遠い国の争い、関係無しと思うておっても、己の無邪気な生活に遠く縁しておっての。
そのこと気づかぬまま、あるいは気づいておるのに知らぬふりのまま生きておる。
その様な者達、助くる価値、有るや無しやを神々、決める役におらず。
そなたら自身が決めること。
今のそなたらの思い、祈り、
どこまで大きくできるかの。
少彦名人は前に進まなければならぬもの。
涙すること、喜ぶこと。
その生きる道のりにおいて受くる全てのこと、糧に歩まねばならぬ。
神々より見ればその歩み方、
自然、神、見えておる様で本質みておらぬで。
今よりまた新しき歩み。
神々と共に歩む道、歩むこと嬉しく思う。
ニニギ
祈り後、洞水の神示
さての。ある場所からある場所へ連れて導く。これがわしの道案内としての役目。今日のぬしらの判断(日吉神社で挨拶と祈り、次にもう1社の日吉神社へ行ったこと)はそれで良きことじゃよ。わしの想いはもうひとつあっての。この朝も早い生まれたての空気の中で、この田畑や繁りある山々の姿、もう一度、一瞬でもぬしらのまなこに入れていきたかった訳での。
美しき風景とはたとえ一瞬であっても一生、心に残る。また悲惨な風景も同じこと。一目、目に映せば一生残りもする。この一瞬、一瞬の目に映りた風景、そこより心の鏡にうつされし波もよう、これで人は一生を過ごしていく。感じたことと、その時の心の波で人生の半分はつくられておると言うても言い過ぎてはなかろう。その風景はの、美しきものもあれば、目をそむけ見たくないものもある。しかしの、まぁ、呑み込めぬ時は酒をくらって一緒に流し込むが世のならいと言うての。まぁ、今日は旨い酒飲めそうじゃで、礼は伝おておくで。 猿田彦
さてさて、今のこの国の有りもようも、人の心も、元を質せば、決していばるつもりはないが遠き昔より、ぬしらが言伝おてくれたように神の想い、人の想いで成り立っておる。これを詳しゅう申せば、その時々の人の努力や苦労、くちびるかみしめし想いや、気づかぬ内に感動の涙一滴落ちる想いとの。言えば、表も裏も、美しきところも醜きところも、すべて合わさって今はある。今のぬしらにこの年寄りのいらぬ話をするが、本来これは別ける事も出来ず、しかし、この2つを心に焼いてはじめて成る形もある。自然は人を守り助けるが、その自然によりて失った多くの命もあり、戦争もそうじゃが目にみえぬ所で、幾万人の涙が流れおちて今があるの。ぬしらは到底、想像もできまい。
しかし、それでもよき事。その時代時代のものらがこの時代を背負う、これも世のならいかの。ぬしらに過去に戻りて体験してこいとはどだい、無理は話での。しかし、その代わりというては何じゃが、人の記憶、その想い、そしてその魂だけは良いも悪いも、美しき風景も汚きドブ水も、生者の喜びも死者の涙も、すべては継がれていく。その双方をより深く知りて、土台とし天秤にかけた時に一歩、光が先に進まねばこの国、この時代が先には進まぬ。どうかの、少しは賢こうなったかの。想いをはせ、心より添わせ、新しきものをつくりだす。これがわしがいつも心に秘めておった、国造りの基。今よりのぬしらも楽しみにしておくで。 少彦名
懐かしき想いにしばし、その祝詞聞き入ってはおったが。よう正月の最初の挨拶は受けておったが、久々に声を聞いては白髪まじりのその頭に、さて中身はどれほど変わったかと思えば少し頼りはないが。それでも志はまだ消えておらぬことに安堵いたし、またこれよりの道考えれば不安はあっても師の背中を追うだけではなく、本気でこの国想い、人を想うであればやはり己の手足、頭も心も使えるうちに使っておかぬとの。いづれまた会いに来てくれるという事じゃが、そう心配せずとも緒方殿より継がれし魂は、少彦名の神がいうておるように過去に残れば、未来に続くが今の時。師の顔をあの世にいっても曇らせぬようにと申せば腹も立てようが、立てた己と仲間の旗をみては頼もしくも思うておるのも真のところ。時々は臆せず、わしの元へ顔をみせに来よ。その都度、気づきを与えてやるでの。 ニニギ
個人的にいろいろと考えさせられました。
最初の(間違って)参拝した日吉神社の目前に広がる田んぼをみて、本当に「美しい」って思って。その後、正式な日吉神社に参拝して。ここは高台にあるのですが、眼下に広がる山々をみた時に、、、、そこには、山の中腹まで何台もショベルカーが散在してて、山の斜面を削り取っている。そのギャップのある光景をみながら心苦しくなった時に、少名彦様の「しかし、それでもよき事。その時代時代のものらがこの時代を背負う、これも世のならいかの。」
・・・この言葉の裏にある、もう何千何万年と人の世をみてこられた少彦名様の想いの深さや重さに自分の心は押しつぶされそうになりました。
つづく。
出雲神國之御祭⑧
この日、覚えていることは開門前に神社についてしまって、その後の予定を考えて「門の外」から祈らせて頂いたこと。
丁度、門の前には宗像大社の立派な社標が建っていましたので神様に確認して、そちらにお供え物を供えさせて頂きここで祈ることに。
山本君には、もう一つの入り口が先に開いていないかを確認しにいって貰っていましたので、ここは1人で祈りはじめ・・・・確認が終わった山本クンも静かに合流して頂き、2人で祈りを通す。
20~30分、祈りを通したでしょうか。
神様からの合図を頂き、そのまま波折神社~志賀海神社へ。
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