「久延彦さまより、”宗像さま”とのお言葉が出て参りました。。。。」
本来の祭り、今までの師匠との祭りであれば・・・まずはとことん、筆書きをしまくってですね。夜から朝にかけて、とにかく神様に話を伺いまくる。わからないことがあれば、とことん質問し、解釈の違いで神祭そのものがズレてしまったり、トンデモない明後日の方向へ行く可能性を考慮して何度も聞きなおす。
また答えてくれない、その神様の口から言えないことも多々あるようでして(この辺りの神様のルールはさっぱりわからん・・・・)、それならばと人間的に知恵を使って答えてくれそうな神様を捜したり、あの手・この手で質問内容を変えて無理に口を開いて頂いたりと(笑)それでもやってる内にイレギュラーが発生してはまた修正して・・・・・実はこの繰り返しの20数年でした。
が、今回は大きく違います。
・審神(さにわ)できる師匠がいない
人間的に信頼できて、安心感がありずば抜けた霊能を持つ中心的役割の存在(師匠)がいない・・・自分を祭主に育てる為、20数年と自分や仲間を導いてくれた師匠、残念ながら肝心要の自分自身(洞水)が揺れ動き、自信も勇気もなく。職場ではパワハラに怯え、家庭では居てもいなくてもなんとなーく回っている状態の中・・・・本人がいくら納得できる人生を歩んでいても、綱はワイヤーで出来ていると知っていても、ワイヤー渡りには違いなく、そこで両肩に日本や津波や人の心と言われても・・・・・・
その中で、今振り返ればご縁頂いた兄弟子や一緒に祈ってくれる玉石をもった仲間内、そして実は・・・これが広く大きく力になってくれた。今でもくれていると本気で思っているのですが「日常で関わってくれる玉石をもった縁ある人たち」なんですね。マジで。
相談に来てくれる方や、昔からの馴染みの友達。
愚痴を言える人や、愚痴を聞かせてくれる人。
心の安らぎを与えてくれる人、自分が与えられる人。
遠くから神祭を応援してくれている人や、神様の「か」の字も知らないけど貴重な一言を聞かせてくれる人。
勇気を与えてくれ、勇気を受け取ってくれる人。
テレビやネットのニュースから、世の情勢まで。
神様の采配って本当によく出来ていて、、、、ここまで来れば「お前、神様熱にずっとかかりっぱなしじゃね?」と言われても不思議ではないのですが、神様は求める人、その受け入れが出来ている人に対して『必要なもの』は与えてくれる。本当にそう感じます。(ただし、その人が ”欲しいもの” じゃない所がいけずなところですが・・・・)
日々に与えてくれる事象に対して、あとは自分がどう選択しどう使うか。
その人自身が「欲しいものと必要なもの」の区別がつけられているのか。
「良い」と「最良」の区別をつけられているのか。
・・・ここがポイントかな。。。。
「人は見たいものしか見ず、聞きたいものしか聞かない」
という言葉が良くも悪くも嫌というほど身に沁みて分かり始めた50歳手前ですね・・・・遅っ。
そんな状況の中、参拝の日は決まっていても、その日まで無駄な時間は使えません。
とにかく5人でLINEのやり取りが毎日のように続きます。
今回は特に大変だったのは、兄弟子のRさんだったんじゃないかと(汗)Rさんは師匠の息子さんで、親元を離れたのは大学生の時。ただし、そこから30年近く1人で神祭を行ってこられた方なので、自分たちからの信頼も尊敬も篤い方です。
「時間があるから、ちょっと遊ぼうか。」
このLINEの一言からはじまり・・・・・
「山の神には食べ物をあげるとしたら何がいいと思う?」
「海のものが揃わない時は?」
「理由は?」
「いい答えだね」
「ではもう一度聞くがそれを奏上するにはどうすればいい?」
「そこに意味をつけるならなんと言う言葉を付加する?」
「では宿題だ。答えが出たら送ってくださいませ。」
「仕事の忙しい中にすまないね」
いや、あなた最高の上司でしょ・・・・
こんな状態が時間が空いている間、ずっと続く。昔、自分が師匠にして頂いた初期訓練とまったく同じですね(汗)
本来は自分がやらなくちゃいけない皆の霊力の向上や霊的知識を、神祭のアドバイスももちろんのこと、事細かく1人1人の特性を見抜き導いてくれました・・・雑で自己中の自分には出来ない役割を一気に担ってくださっておりましたので、たったこの約8ヶ月のなかでも4人の能力は画期的に向上したはずです。
遠方や集団パワーに任せて祈りまくる自分たちと反面、Rさんは1人で通信して1人で各社を周り(いつ、どこで、どんな祈りをされているのかは誰にも明かさないけど、後にわかることになります)その中で、神様からの通信やヒントをLINEに流して自分たち4人と足並みを揃えようとしてくれる。
口癖は、
「金がかかることと、人が必要なことはお前に任せる。」
「オレを使いたいなら、金で動かせ。」
いや、あなたも超一流企業にお勤めでしょ・・・・ホント、いろいろと頭が下がります。
話を神祭に戻すと。
3月9日の宗像大社へのお参りはとても大切で重要な祈りとなる。
なのでその前に、今後の祭りの動向を見据えてまずは「守り」が必要にもなってくる。自分たちが祭りを行う上で気を付けないといけないことは「別の力が働く」ということ。右に行こうとすれば、左に寄せてくる。上に行こうとすれば下におろそうとする力。
これは自分たちの人生においても同じことだと、自分は解釈しております。
どんな選択を、どんな人生を歩めば人はより豊かに、より幸せを感じれる道を選べるかは大抵の方が頭ではわかっている話です。
が、その通りに行けないのがこれもまた人生。
他からの攻撃。その瞬間の流れ。自身の弱い心。違った意見を持つ神様の力、、、などなど。
中には自分の力では影響を与えられない、これらの「反発する力」も存在しております。これを恨んでも仕方ないですしね、そっちに流される自分自身を恨んでも人生は前に進まない。自分はいつもこんな時、師匠や神様が口酸っぱくおっしゃってた『神の祭りは人の祭り、人の祭りは神の祭り』という言葉を思い出します。
人の世では流されまくりの人生ですが、神ごとだけはここだけは流されたくない自分。流されない決意だけはある。
まずは、その「守り」の為に2月26日に糸島の八大龍王社に祈りを通し、これからの祭りの決意表明を行う約束をする。メンバーは、洞水・山本クン・Tクン。赤穂さんは仕事の都合で断念。それぞれ仕事を終えた後、時間の都合上3人で19時にウチに集合、まだ肌寒い季節のなかで糸島へ向かう予定を立てる。
八大龍王社へ行くその前の2月21日。Rさんから連絡あり。
今回の祭り、どこまでがどうなのかが本当に未知数だとの話。自分もその違和感というか、今までの流れと別のものだと納得。「とにかく筆を執れるだけ、執った方がいい」とのアドバイス通り、寝る前の祈りの時に突然、神様から言葉が降りる。
2023年2月21日 洞水筆書き
さて次の祭り、のぞき穴にこれまた細い針を
遠くより投げ、そこを通すような祭りでの。
祭り前の心構え大切なのは言うまでもないが、
その一瞬にかける想いが
より大切な祭りと申そうか。ようよう考えてみれば分かるが、地震や津波、
その他の自然災害とぬしらが呼んでおるものもの。
人が起因の一部となっておるものもあれば、
大抵は自然の営み。大自然の呼吸であっての。
ぬしらは胸をはって鎮める、被害を防ぐと
意気込んでも本来、
人が動かせるどうこうではないの。しかし、
その中でなるべく人への影響、
人の営みへの影響をより少なくして貰いたい、
己の家族をはじめ知人や友人、面識がないもの、
今までの人、これから会う人、
それらが生活できる基盤、大きく申せば未来ある
国に対しての影響を少しでも少なくして欲しい、
人の悲しき顔はみたくないと考えるのが
人であって、わしらもそう願うておる。
人の親とし、防げる不幸は避けて欲しいとの
親心あってのこと。さて、前話が長ごうなったがそれぞれ人の親として、
またこれよりの世を想う者として、わしらと縁が
あった者同士として、それぞれの想いの
形もあろうがわしらと心一つとしてくれれば、
自然道は開けると伝おておくで。
彦
※筆書き誤って二重となっておりましたので、差し替えました(2023.10.8)
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