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出雲神國之御祭①

ながらく時間は空きましたが、ようやく一区切りつきましたので忘れない内に更新します。もう三年も経ったんですね、、、、

実は、この祭りが始まる「2022年3月8日」に一つの祭りを終え、その際に行き詰った自分は兄弟子Rさんに助けを求めてからアドバイスを頂いておりますが・・・前後しますが、これもいづれ記録に残すとして。

早いです。人生、早すぎます。

今年(2023年)の2月から始まりました「出雲神国之御祭」、ようやく昨日、幕が降りました。
まずはご協力頂きました皆様方、心からお礼を申し上げます。

まだまだ未熟な自分たちを陰より支えてくれて、ここ一番で指示を出してくれたり、メンタルのフォローをしてくれたり。神祭においてはいろんなアドバイスを下さった兄弟子Rさん。自分が祭主を務めるようになって副祭主の立場として、事細かに現状の把握や経路の下調べをしてくれる山本クン。体力的に皆を引っ張ってくれて、純朴な真っすぐな信心をいつもみせてくれる赤穂さん。八大龍王様と特別なご縁があって、そのフットワークの軽さと信仰には忠実なTクン。Tクンは忙しい中、今回から記録係もお願いしました。ありがとね。

そして大阪から祈りの手伝いをして下さいました大阪さん。本当にありがとうございました。無事にひと段落はつきましたよ(´ー`)

二転三転と転がりました、この度の祭り。正直、神祭のタイトルまで迷いましたが最後はこれで行きたいと考えております(変更あるかも?)

世間のしがらみは、しがらみったままですが、神祭においては半年以上にわたり、あの神社やこの神社へ走り回り、途中で亡き師匠も手伝ってくれてとりあえずのひと段落です。途中、自分の小遣いでは賄えなくなりましたので、カフェの再建との名目で集めたお金も使わせて頂きました。ご支援くださいました皆様の力でここまで行けたと心から感謝しております。

さて、前置きが長くなりましたがポツポツと記録に残す為、ようやく更新していきます。

記録を辿れば、2023年2月17日がはじまり。前段階では、兄弟子RさんとLINEのやりとりで始まっております。

「糸島の”四所神社”。ここは糸島にとっても大切な場所でね。昔の海外との貿易港だしここが上手く機能していない。というか、いろんな国、いろんな人種の霊が集まっていて昔の様に神様が力を発揮できないらしい。まずはここをどうにか出来ないか?」

この様な問いかけから、今回の物語は始まりました。

「どんなお役に立てるかは分かりませんが、やらせて頂きます。」

この年の2月。自分のことだけを振り返れば当時は比較的、職場・・・というか自分の立場は落ち着いておりますがいつ何時もどうなるかはわからない状態。人生の目的と申しますか、未来や夢の為に今が踏ん張りどころ。プライベートは上がったり、下がったりの中でしたが、まずは少しでも神々様のお役に立てればと円滑な情報共有の為、LINEグループを作成。

早速、兄弟子を含めた主要なメンバーに招待を送る。

丁度、2月17日は東京から昔ながらの知人が福岡に遊びに来てくれるということで、その案内を兼ねて糸島の4社に参拝させて頂く。

糸島、二宮神社・八大龍王社・細石神社・若宮神社、参拝後の筆書き(洞水)

さての、まぁこれより迎えし祭りの中で、いづれも日頃の己の生活の中で、いかに己以外を考え生きておるか、そこは祈りの中で問われてくる。
それが偉いとか偉くないとか、賢いとか賢くないとかと違ごうて、日々に己の役割、分別を保ちながらはたしてこの世の事を想う思いはいか程か、との。
ただ神と縁ありて、この様な神がこう申しておる、出来る限りのその時々での祈りを。とは原点ではあろうがの。そう想われれば、わしらも助かると頭を下げるしかないが、真に全てはその想いだけと申せば違うとだけ伝えておこうかの。何故、己らにこうして縁があったのか、その縁をどう受けとめてくれておるのか、これはなかなか今の世の若者らに問うのは難しい世でもあるしの。

年齢と心の成熟に釣りあいがとれぬのも今の世の流れといえばそうなるが、決して日常の生活に文句いうつもりもないし、己らの自由や人生を責任果たしながらその範囲内で謳歌するのも人間の役目。しかし、わしらが今申した事、一人一人まずは胸に手をあて考えてくれる事よりはじまれば、この祭りは成る。よき祭りとなろう。

ことは9月迄、いづれ知らせもこようが、地を慰撫し波を鎮め、この2つを同時に行うことが肝心じゃの。今日参られた苔むす姫殿も力を貸して下さる。八大龍王殿に綿津見殿、平穏と平和を愛される久延彦殿、少彦名の神、大国主の神にあと三柱の神、今はこの辺りじゃよ。

今更ですが、今考えると最初の自分の筆書きに「9月迄」という言葉が出ているんですね、、、、本当に他人事のようですが、いざ神祭が始まると(特に今回は)二転三転と話がいろんな場所に飛んでいってしまい、目先の神社や祈る内容や準備するものに集中するあまり、確実に最初の情報から忘れていってしまいます・・・・・途中、「9月3日までに・・・」という言葉を何度、恨んだことか・・・・・・。

参拝後の筆書きをLINEで送ると、折り返し兄弟子よりの返事がございました。

「住吉さま(もしくは綿津積さま)と久延彦さまの神様へ挨拶に行ける人はいるかい?」

私から始まるグループの祭りにおいては、兄弟子は「オブサーバー 兼 アドバイザー 兼 メンター」の存在として、名実ともに自分たちの『兄貴分』として、陰より支えて下さり、お付き合いのなかで以前の師匠のように神祭の進行と同時に、自分たちグループの成長を促してくれるなくてはならない存在です。自分たちグループの1人1人の立場やメンタルを常に気にしてくれてました。お1人で生活している時は、もう10年近くたった1人で人知れず神祭をされている方ですね。

早速、山本クン・Tクンが「久延彦さま」が祀られている神社を捜してきてくれる。

「那珂川市にある、大山住神社に久延彦さまが祀られているみたいですよ!」

捜し方が悪いのか、割と機械音痴の自分にとって仲間がいるというのは本当に心強いものです(-_-;)

前線で動ける仲間は自分を含めて山本クン、赤穂さん、Tクンの4人。まだ神様がすべてを語られない内は人数の多さを武器に、今回は「人海戦術」(行ける人が行ける神社へ参拝する作戦)で神社参拝を決行。

皆の都合をすり合わせて、まずは志賀島にある「志賀海神社」、久延彦さまが祀られる那珂川市の「大山住神社」には、自分と山本クン。

Tクンは東京出張の為、神田明神へ。LINEグループを作って二日後の2月21日から、赤穂さんが合流してくれることになる。

2月21日 大山住神社参拝後の筆書き(洞水)

いえば、ここで1つの和という意味、もう一度改めて考えてみんかの。その瞬間であっても、これからの瞬間であってもの。和とは異なるものが一つとなって和となり、それ以上でも以下でもなく、大きな和で申せば人は皆、人間、その営みを含めた人。という和で括られる。

またこの世に本心、心より己一人の祈りや力でどうなるものとは思わぬが、それはそれで決して無駄ではないが、無駄ではないだけの話。己一人の祈りで百万分の一でも想いが通じればありがたいですと、地に頭をたれておる者、この世にはごまんとおる。

そのごまんとおる人間の和の中で、また人の世で縁あった者がその縁を通して小さき和をつくる。それが今のぬしらであっての。そこで大きな和の力の中で、また小さき和の力が発揮される。いうてしまえば、言葉は乱暴にはなるが人一人で祈り通しても意味がないという事ではのうて、一の祈りに関してはより完全に近い者の祈りや考えも必要であれば、たとえ角度が違えば不完全で歪な形の集まりの中から生まれる光、輝き、情や温かみが可能性と呼ばれることもある。

そこを見誤れば、ただの不完全な聖人君子を目指す人の集まりとなってはこの祭り、意味も少ないしの。波につくる壁は、宗像の神の専売特許と言い切れば、わしも怒られようがまぁまずはこの神に祈り通さねばことは成るまい。ぬしらはわしよりみて、神と己、己と人、己と世の営みと、その和や調節に極端に心引き寄せられやすいで、それが悪いとは申さぬがもう一度、初心にかえって考え直せよ。いらぬ事申したがこれを口に出せる神もそうおらぬ。皆々、次の祭りで忙しいか。わしも暇ではないのじゃがの。クエビコ

久延彦さまより、「宗像さま」とのお言葉が出て参りました。。。。

つづく。

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