まずは吉田神社でお供えしたものを、糸島の海へ流す。
そして、車で移動。
4人で宗像の旅は本当に楽しかったです。もちろん、神祭そのものはまだ完全に終わっていないので、気は抜いていないつもりでしたが、「あぁ~なんか懐かしい感覚だなぁ~」との想いと、「これが新しいメンバーで新しい神祭の雰囲気なのか・・・・」との両方の想いが交錯する中、宗像大社へはアッという間に到着いたしました。
さっそく本殿で、簡単ではございましたが今までの流れと、無事にここまで来れたことへの感謝、最後の仕上げのお力添えとこれからの御力を発揮していただく事の依頼、そして神々様の弥栄・・・・考えたら結構、欲張りですね(汗)
まずは本殿でご挨拶をする。
それが終わると、迷わず高宮へ移動。
ここでも今までの想いと、これからの助力の為、心中祈念をする。
話は前後しますが、この度の神祭でかかる経費を捻出する為、2月の中旬に大阪に出張鑑定を強行した際に大阪さんに案内して頂いた『石切劔箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)』。
その神社の『上之宮』という生駒山の麓に小さな瀧があるんですが、不思議とその瀧の雰囲気に似ているんです。
高宮での参拝が終わると、今度は前回は行かなかった「第二宮」「第三宮」の二社へもご挨拶。
そこまで終わってようやくホッとひと息、最後は近くの海に珠を鎮めるだけ。。。。
宗像大社の駐車場に戻って、車の中でさっそく用意していた筆と紙を取り出す。
さての、平穏な世へと皆、願いつつ、それぞれの理屈・それぞれの理の中、鎖まかれたる魂、まだ水深く沈みたまま。しかしその魂は鎮まらず1000年近くとは数字で遠い世であっても、わしらよりみれば今の世の者らの心といかほど変わりはあろうか。否、不誠実な分だけ今の者らの魂は泥にまみれておっての。
想い抱えたその者らの魂、また水の冷たさ以上により悲しみも多かろうと、神々も思案の中、けっして戻れぬ未知を人は歩いておるのではなく、その後に続く者らの心を想い考えれば、過去には戻れずともこの世少しでも平和に人が人として生きれし道は必ずやある事、この度の祭りでしっかり腹におさめくれ、またその時々の道すがら、今は亡き者らに一瞬でも心傾け、情を注いでくれればそれぞれの道も変わってもこよう。
当時の者らの想い、決してそなたらに汲むことはできぬ。出来ぬがしかし、想いを馳せることはできる。
またその想いあつければいかに凍えし心も体も、一時のあたたかみを感じる事もできる。ぬしらの後ろ背より、幾百人かは手をあわせ、ぬしらを見送りくれた者も多くあった事、この二族の祭りこれで良しじゃよ。
名は明かさずとも、手だすけくれたぬしらそれぞれに縁ある神々も多い。家に戻れば此度の報告と感謝の心で手をあわせておく事じゃの。
最後になるが亡き者ら、決して今の政に邪魔を入れておるだけのはのうての。
今わしが申した通り、それぞれの心にはそれぞれの想いあり。そこまで己ら、ようくみ取ってくれた事に一つ安堵の心もあっての。よき祭りじゃったと伝おておくで。
スサノオ
わたしどもの争い、決して過ちであったとは今なお、想いませぬ。万骨のしかばねみれば、悲しくあれどもわたくしどもが後悔することばできませぬ。しかし罪を罪と言われれば罪、しかし願いを抱き想いを抱いて自らの命を断った心、分かって欲しいというのが無理な話でしょうが己の正義をつらぬこうと思えば思うほど悲しく悔しくやるせなさにまた身をかたくの繰り返しの中で、今日の良き日にありてある者は腹を満たしある者は心を満たして、これが世をとおした真の情、人の心あると知り、むせび泣く者も多かった事、代表して礼を伝えます。形は違うても世は違うても平和を祈る心、わたくしども心底忘れず少しづつでも手をとりあう日へと向かう事、ここに約束いたします。 代表
カーナビでみて、一番海が近い場所に車を走らせるとしばらくして、とても美しい海と空、そして砂浜が美しい場所へと4人で降りる。宗像の海は、また福岡市や糸島の海と違って独特の青さと、広々とした風景込みの一味違った美しさがあります。
「せっかくなので、今回はT君に珠を鎮めてもらおう。」
兄弟子いわくそれが灯台の役割として海から御力を発揮して頂けるとのこと。
結構、遠くに飛ばさないといけないんじゃないかと勝手に考え、念の為にT君には投げる練習をしてもらい、なるべく沖へと投げて貰いました。そこそこ、飛びました(笑)
これも生前の師匠に教えられた通り、お供物を流した場所がみえなくなるまで振り返ることなく車に乗り込み、これも師匠に教えてもらった、もう幾度となく寄らせて貰った料理屋で直会をして無事にそれぞれの日常へと戻りました。
「令和の慰霊祭」 おわり。
コメント:1
- 金シャチ 20-05-06 (水) 0:55
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こんばんは!
令和の慰霊祭 無事に終わり、皆様お疲れ様でございました。
代表の方の言葉から、海から上がられた方々に喜んで頂けた様子が
伝わり、何よりでした。
『形は違うても世は違うても平和を祈る心』
時代は変わっても、祈る心も願いも同じですね。新型コロナが我々を恐怖に陥れている今、
昔も同じ様に、はやり病に怯えた人々が神仏に
祈り平和を願った事でしょう・・・今日、津島神社にて
『コロナウイルスの退散と日常が戻ります様に』と
祈ってきました。
神様に届いたかなぁ?
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