- 2013-02-06 (水) 0:40
- 神祭
風はびゅんびゅんと吹いている。いや、そんな生易しいものではございませんでした。
山頂についたわたし達は、まずスロープカーの運転手さんより得ていた情報通り、山頂の上宮の扉を開ける。「上宮」は「上宮」ですが、ここは万年大風なのか(初めて登ったので解かりませんが)、建物が傷みやすいのか、簡単に言えば 『箱のような小屋』 でした。教えてもらった通りに扉を開ける。鍵はかかっておりません。
一歩中に入ると・・・・・・・びゅうびゅう、ガタンガタンと余計に風の音が大きい。箱のまっくらの中で、目の前にある御扉を確認し、賽銭箱にお金を入れてまずは祭りの準備から始める。
持参してきた、お酒一升・紙皿に葉野菜、根のもの、果物、そして水・塩・米をすばやく並べる。もう何百回繰り返してきたか分かりませんが、とにかくこの作業だけはかなり慣れました。そして何千回、いや何万回はいったのかな・・・・・・・・・・まずはご挨拶に天津祝詞を3回、奏上させて頂く。なぜ今、ここにわたし達が居るのか。何の目的でここに居るのか。どなたのご依頼で足を運ばさせて頂いたのか。これからここに鎮座される御神様、そしてそこから始まる界、またこの英彦山の山そのものがどうなって欲しいのか。
心をつむげば、言葉が勝手に出てまいります。
あとはそれに後押しを頂くように、ここまで一緒についてきてくれた3人、声を合わせて共に祈る。
これは余談ですが、神祭のたびに 「なぜ神様は瞬間移動が出来ないのか?なぜ人間が運ばないといけないのか?」 これは神祭にたずさわらせて頂きはじめた時よりしばらく経ってから、いつもわたしの頭の中にあった疑問です。
本来、神様とはわたし達の目にはみえないもの。
昔の方々は春の訪れと共に命の根、「稲」がすくすくと育つように神様に傍で見守って頂きたいと願う。(稲そのもの、自然そのものも神様なんですけどね)その為に、誠意を尽くして心を込めて普段は山の上にいらっしゃる田んぼの神様を中宮から里宮へと神輿(みこし、神様の乗り物)を担いで運ばせて頂く。田の神様は普段、冬の山の中に籠もり、力を増やしている神様(”籠もる”とは力を振動させる・増幅させるという意味合いがございます=「恩頼(みたまのふゆ)」)に稲が丈夫に立派に育つように春・夏・秋と見守っていただく。力を貸していただく。
「祈年祭(祈る年の祭り)」 と書いて、『としごいのまつり』。(この場合の、”年” は”歳月”をあわらすものでなく、”穀物” をあらわします。)これは年間の神事でも、2月のとても大きなお祭りの一つですね。
無事に秋に収穫できれば、まずは初穂(はつほ)を感謝とお礼の心を込めて神様に報告・捧げさせて頂く。これが11月に行われる新嘗祭(にいなめさい)。今では ”勤労感謝の日” とわけのわからないネーミングでかろうじて残っておりますが、それでも残すことに全力を傾けてくださった先人の方々に感謝です。日本人が日本人である所以。
「人の力が借りられないと」というより、わたし達(人間)の便宜上、お願いする立場であるのならば丁寧にお迎えに上がり、出来る限りの心を視えないものに尽くさせて頂く・・・・・・わたし達はどこにも影響されない、海にかこまれたありがたい環境で育てた”概念”に近いものがあると思います。神様のお仕事は総じて、「人のため、自然のため、ひいてはやっぱり、人のため」 なのです。
話はそれましたが・・・・・・
しばらく祈り上げ、「よし。」 と合図を頂いたので今度は片付けにはいる。
勾玉の首飾りは社の失礼のないところへ。また玉石は埋めて参りました。そして供物、生ものは山に返させて頂く。その際のゴミはまた分担して各自のリュックサックの中へ。
帰りは割と楽でした。なによりも気分が楽。でも、そういう時に限って怪我や事故は多いもの、、、、とにかくここは雪の山中、足元に気をつけながらゆっくりと下りたつもりが・・・・・・・結構、早かった(笑)来た時と同じようにスローカーを乗り継いで駐車場まで戻る。
「お腹空いたねぇ~」
「なんか温かくて美味しいものでも食べに行こうよ!!」
「神様はちゃんと、光の道を通って英彦山に辿り着いたとかいなねぇ~」
帰りはさらに軽くなった体と心とリュックサック。
まずは誰もいない奉幣殿まで戻り、(さすがにこの季節は平日、人気はない・・・・・)小雨の振る中で師に電話。みんなの無事と神祭終了の報告。とにかく体が寒くて早くお風呂に入って温かいものでも食べたい気持ちでしたが、とりあえず登山で余った飴やチョコレートをほおばりながら、、、、、、、え~っと・・・・・・なんて言われたか忘れました(苦笑)とにかく、とても心配してくれていたらしくねぎらいというより師もホッとして 「気をつけて帰っておいで。」 と言われたような。
次に紫さんに連絡。
「近くにご縁の深い神様が祀られてない?」
すぐにピンときました。出発の前日でしたが、この奉幣殿にわたしとご縁の深い、『火須勢理様』 が祀られていたことを初めて知りました、、、、、なんとも情けなくも申し訳ない思いですが、いつものわたしはこんな感じです。信心は深くても、信仰心がない(汗)神様の知識も神祭の時の参考にするため。実際、いつものわたしは言われたことはそのまま何があっても実行しますが、そこまで神様や歴史に興味がある訳ではない・・・・・・(汗)
「分かった、奉幣殿に手を合わせて帰るね。ありがとう!」
最後に奉幣殿に皆で参れば、それぞれの道がまたひらける・・・・・・・的な話だったので、一通り皆に伝えて改めて奉幣殿にご挨拶。出発の際は、まずは目的達成のためにだけと心に決めて手も合わせず素通りさせて貰っていたので、そのお詫びと感謝の心を込めて小雨の降る中、静かに手を合わさせていただきました。
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