神筆トップ > 用語集 > 神祭(かみまつり・しんさい)とは①

神祭(かみまつり・しんさい)とは①

私達が行う「神祭」。これは普段、あまり聞きなれない言葉です。

しかし今でも各地に残るその名残り、『お祭り』 『○○祭』 『夏祭り』 などの
言葉は一度は皆さん、聞いた事があったり参加された想い出があるのでは
ないでしょうか・・・・・??

一年は初詣からはじまり、節分・雛祭・花まつり・端午(たんご)の節句・七夕の祭り。

七五三・夏祭り・地鎮祭・神楽・舞・祈年祭・新嘗祭・大例祭・・・・・・・・

これらの祭りと一度も関わりなく過ごしてこられた方はいらっしゃらないのではないでしょうか・・・??

古来から「祈り」とはその歴史は古く、大地や自然の恵み・神々様から
もたらされるその恩恵を受け続け、人間はそこに「感謝」という心に変えて
さらにその心を形に現す 『祭り』 というものに変えてきました。

時にはこれからの吉凶を神に委ねより良い生活へと祈る願いも込めて
神々様と共に楽しんだり憂いたり、願ったり感謝したり。

・・・・・簡単に言えばこれが 「神祭」 です。

今、自分達の人間としての魂を持って「見えない存在」「くり」の「神」と呼ばれる存在と
いろいろな意味で直接繋がり気持ちを伝える太古からの方法の一つが「祭り」であると
言えば分かりやすいと思います。

今でも、ある神社では何千年続いてきた祭りの歴史があるそうです。

そして・・・・そしてそこから受け継いできた繋がりの方法、古代からの人の知恵。
本来の「神祭り」の意味と、今の「祭り」や「祈り」を比べてみてください・・・・

・・・・・・あなたはどう思いますか?一体、何が変わって何が残っているのでしょう?

『神々様の願い』

これは今も昔も変わらないと思います。神様は神様らしく、人間は人間らしく、
草木は草木らしく、万物の生き物はそれぞれにその生き物らしく。

それぞれがそれぞれの責任を持ち、その役割を果たし、協力しあって限りあるものを

大切につかい、思いやりや感謝の気持ちを忘れず歩んでいく。

決して今のお祭りや各地の行事を否定している訳ではありませんが
いつしか「頂く」だけに慣れすぎた私達は各自の欲や願いをぶつけるだけの
祭りや祈りになっていやしませんか?

自分達の役割や責任を忘れ単なる「恩恵の催促」にバランスが傾いている気がします。

『神と呼ばれる存在が人間にお願いごとをしてくる時代』

これに不思議を感じる方々も多いんじゃないでしょうか?(笑)

「 ”神” と呼ばれる存在は絶対的な力を持ってるんじゃないの?」

・・・・これについては長くなりましたので次に私見を述べさせて頂きます。

ブログランキングに参加しております。
人気ブログランキングへ 精神世界ランキング にほんブログ村 スピリチュアル

コメント:8

とり 09-05-02 (土) 21:48

いつからか、「祭りは神様に感謝するためのものなのに、なんだか
人が楽しむだけの物になってはいないか?」という疑問を感じるようになりました。

以来、お祭りを楽しむ事に罪悪感を感じています。

私の心のあり方はどうあればいいのか。
ふつうのひとの私になにか出来る事はあるのか。

考える事が出来そうです。

匿名 09-05-02 (土) 22:05

まさに、ですね。これからも戒めになる言葉をお願い致します。

え゛ど 09-05-02 (土) 22:16

村雲さん お久しぶりです。お元気そうで何よりです。
最近いろいろとトラブル続きなので、外回り中などに大阪の住吉さんにどうしたらよいかお尋ねしに詣でることがよくありました。
何らかのきっかけで住吉さんの近くに占い処があり、興味津々でお尋ねしました。
先生は奥様を7年前に亡くされ、足も悪く最近まで入院されていたとのことで、肉体的には大変そうでした。でもきっちりと詳しく占っていただき、私と家内は性格上 戌と申で犬猿の仲だか相性はいい??よくわかなかったですが前向きにとれえました(笑)
余談はさて置き、先生曰く、「住吉の神さんは、よく地元のご老人に憑依して街を見て回っておられるらしい。幼子が突然、普通のご老人に向かって手を合わせることがある」とのことでした。
『神と呼ばれる存在が人間にお願いごとをしてくる時代』急遽来るかもしれませんね。
追伸:住吉さんでしか手に入らない「干支などの土人形(伏見人形由来)」を最近コレクトしています。なかなか味わいのある素朴さが気に入っています。

Jaby 09-05-03 (日) 0:15

『祭り』だけで無く、お参りも本来の形を見失っていますよね、感謝やご挨拶をせずにお願いだけをする。それどころか、神社と公園の区別さえついていない人も多く見かけます。
それだけ人間にとって平和で暮らしやすい世の中になったという事なのかもしれませんが・・・。
「人間は人間らしく」という事を考えれば考えるほど解らなくなります、人に限らず生物は、快を求め、不快から逃れようとします、それがいき過ぎて終わりの無い欲望に姿を変えてしまっているような気もします、だからと言って生命の存続が今よりも困難だった時代に戻ったほうが良い、とも思えません。
次の更新を心待ちにしています。

コヨーテ・アグリー 09-05-03 (日) 1:59

本当にそうですね。。。。
慣れ。。。当たり前の事柄。。。。しっかり見直してみます!

こぴ 09-05-03 (日) 21:04

最近楽しみに記事をみさせていただいてます。

慣れに慣れすぎると、本当によくないですね。村雲さんの記事を読んで、仕事でも家族にも通じる話だよね、と思いました。幸い私の場合ほんとのほんとに最悪な状況になる前に、周りの状況に感謝することの大事さをきづくことができました。
ただ、その気持ちを旨くキープできたらいいのになあ、、、てとこが今後の課題です。

記事が更新されること楽しみに待っています。

越後人民 09-05-04 (月) 3:50

はじめましてm(__)m
何時のまにやら、迷い込んでしまい(苦笑)
興味深い内容だなぁと、勝手ながら寄らせて頂きました(^^ゞ
…神祭…神奉り?
願や祈りが、他力本願じゃぁいけない気が、私はします(>_

越後人民 09-05-04 (月) 4:04

はじめましてm(__)m
何度か、書いて見てるんですが…投稿しきれてないんですョ(苦笑)
コレは乗るかなぁ(焦)

神祭⇒神奉りなんじゃないかなぁと(^^ゞ
三年前から、感謝の気持ちを忘れずに、日々神祭をする事を続けていますけれど…御奉仕の気持ちを忘れては、いけないのだと思っています!!!推神大道とは?で、最近悩んでブラブラしてたら、村雲さんのトコに辿りついちゃいました(笑)
今後どうぞまた、寄らせて下さいね(o^_^o)

コメントフォーム
Remember personal info

トラックバック:0

この記事のトラックバックURL
http://kamifude.com/2009/05/02/post_8.html/trackback
Listed below are links to weblogs that reference
神祭(かみまつり・しんさい)とは① from 神筆 ~筑紫国神示~

神筆トップ > 用語集 > 神祭(かみまつり・しんさい)とは①

検索
Feeds
Meta
神筆携帯版
カウンター

このページの上へ