中にあがらせていただき、さらに奥の御扉の前に供物を並べる。
中央には 『綿津見様の玉石』 を置き、まずは言挙げから。言挙げは、師のそばで常に聞き続けてきたお蔭か、まずは心の中で想いを広げ、それをひとつにまた固め、そこに信念と真心を貫きそのまま口に出す言葉をわたしは言挙げとさせていただいております。
言挙げの後、天津祝詞をあげつづける。
祈る方の数や能力、それはさほど祭りには関係ないと考えております。大切なのは、その心と質量(?)。本来であれば、ここにAさんやKさん、また今までの祭りに参加してくださった方、今から参加してくださる方々がいれば心強いものもございますが、これも流れのなかでの 『ご縁』 でもございましょうし、なによりもわたしは日頃、生業にしている鑑定料を神祭費や直会費として使わせていただいておりますので、、、、、、
「鑑定も含めて、皆様のご縁の力を少しづつお借りして。」
そう考えると、たとえ1人であっても3人であっても、祈る側としては心強いものなのです。
祈りの途中で、拍手を打たせていただく。
これが祝詞奏上の、最後の合図で二拍の音をきいてY君もOさんも一旦、祝詞をとめてくれます。
「これでOKです。最後に三回、感謝の祝詞を挙げて幕をおろしましょう!」
「はい!!!」
最後にゆっくりと、祝詞を三回奏上する。
以前、「祝詞ってどれぐらいの声であげればいいんですか?」 という別のブログで質問をいただいておりまして、少しいらぬ解説をいれておきますと・・・・・・
神職の世界では、『祝詞奏上』 は、古い口伝では 「念ずる心で読め」 また、大殿祭の祝詞に関する古記録には、天皇の御告文(天皇陛下が神様に対してあげる祝詞は、「御告文(ごこくぶん。おつげぶみ。)」、これに対して天皇陛下以外の皇族の方は「告文(こくぶん・つげぶみ)」と呼ばれます) 「微声」と書かれております。これの解釈は未だに研究されている最中ではございますが、基本的には「微声」、(ただし、大祓詞は「朗々と唱える」) そして、「聞ゆるほど」 と書かれております。
この、「聞ゆるほど」 の解釈がまた絶妙に難しいのですが、千種宣夫著「神道故実の軌道」 によれば、神様に対してではなく、参列者に対して・・・・・との解釈が一般的で、10人の参列者がいれば10名に聞こえる程度。100人いれば100人に聞こえる程度、「聞こえ過ぎても聞こえにくくてもならぬ。」 とそう書かれております。
質問者の場合、一人で参拝されるのであればその方自身が聞こえる程度の声で良いのかと。
話を戻しますと。
「神祭(神社参拝も含めて)が終わったら、かならず神様に返事をもらいなさい。徹底的に伺いなさい。後悔しないように。」
と教えられましたので、2人とお別れしたのち、ひとり紙と筆をとり出す。
さての、まずはこれでよき日よきこととなろう。洞水にしてもの、あまり小難しゅう考えず迷えば己の心に問うて今の時、今の心忘れず歩まれしこと。機会あればもう一度、綿津見の社、志賀の島(福岡市東区)へと走られ心より祈りをあげてみるがよかろう。本気でこの道走らせていただきますと決意したからには、また道すがら言葉をかけてくださる神々も多かろうが、大切なのは何を己の心の中心とすえて走るか。
思い出してみよ、16年前の熱き日に、何が己の衝動あってO殿(師)の家の戸、わしら座したる部屋の戸をたたいたのか。またあれより何を感じどう考えわしらと付きおうてきてくれたのか。決して忘れんでくれよ。わしらは洞水を追いつめたくて存在しておるわけでなし。ぬしが人として、人の生活の営みの中で、わしらを忘れることなくともに歩みて欲しいと願おておるだけじゃよ。O殿(師)もいずれは村に帰り、今、ぬしが友として仲間として親しんでおる者らも皆、そうであろう。ただ縁あってと、ぬしらはいうても、それはの、言葉にすればそうなろうが、そこには言葉でいいあらわせぬ想いが、その瞬間瞬間とつまっておるはず。それを基にして生きるになんの不都合があろうか。
神とはその一瞬一瞬を形にした、また別のとらえ方できし一面があるというだけにすぎず。またその一瞬がの、洞水の時代もそこより続く人の営みの時代も、これが一瞬ひかりて玉石は受けつがれ、時の流れとなっておるということ。もう少し深くさとらねばならぬ。今よりの歩みもまた長き一生じゃが短き一生。わしも楽しみにしておるでの。
また糸島の中心、北と名のつく社に当時はひとつのシンボルとされておった社があって、そこの神が静かに時を待っておる。その神もう一度立ち上がれば、この糸島の地にもバランスとれよき道ひらけよう。 天神
あ~ようやく終わった緊張感の糸が切れ、ホッとひと息明日からまた日常がはじまるぞぉ~
・・・・・・と思っていた矢先、なんと次はまた糸島の神社。
しかも、キーワードは 『北』 という言葉のみ。
行くところまでいけば、追いつめられれば開き直るのも早いのがわたしの特技のひとつ。
とにかく師に電話を、、、、、、いえ、もうこのまま神示をもって師の家に突撃した方が早いと、次の日を迎えて朝一番より、師の家に車を走らせました。
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コメント:3
- 日次月次 15-09-25 (金) 13:06
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なんと、まさかの「つづく」・・・
年越しちゃいますかね~(^^;
楽しみにしてます! - 金シャチ 15-09-27 (日) 0:37
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こんばんは・・・
『日の子の祭り4』から一気に物語が進展
で・・・『本物霊能者』が同行者に場所の確認?
えーぇ?その方も霊能者?
よかったですね、冷静沈着な霊能者さんとご一緒で・・・(笑)コントですよコント、笑わせて頂きました。
次は北山神社ですか?大陸に近い九州の島々に中国・朝鮮民族が上陸して・・・
大変な事になっているとか目にします、もちろん観光での来日ですが
昔々、神代の時代にも同じような事があったのかしら?
当時は命がけで戦われたのでしょうね、『この糸島の地にもバランスとれ よき道ひらけよう。 天神 』
神様のお言葉、気になります。
もちろん、コント?の続きも早く読みたいです。 - ゲスト 15-09-27 (日) 20:45
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えっ!続きどうなるの!?更新待ってます!
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