言挙げに関しては、今ではほとんどアドバイスらしきアドバイスをくれなくなった(?)師には念のために電話で読み上げ、失礼がないようにだけという点で確認しております。始まる前から、「どんな祭りになるか楽しみだな。」と笑いながらおっしゃってた顔が浮かんだり沈んだり、、、、、言挙げに関してはおそらく言葉も稚拙で足りないところだらけだったのでしょうが、それでも 「うん。悪くない言挙げだったよ」 としか言わない師がおろそしくもありますが、、、、、、私の教育も兼ねてのこと、とにかくこのまま何があっても突っ走れといわれたような気がいたしまして・・・・・・読みにくい点や言葉の使い間違えも多かったとは思いますが、ご了承ください。
少し話が本番前に戻りますが、わたしは狩衣に着替え、副祭主であるY君には白の法被を着てもらい、皆さんに手洗いとうがいをしてもらって神祭の部屋に入る前にみんな、榊でお祓い。その後、二礼二拍手よりはじめ言挙げ後に天津祝詞奏上からはじまりました。
いや、、、、感動いたしました。
なにが感動したかって、一応は前日に天津祝詞をコピーしてそれぞれに渡していたのですが最初は手にもって読み上げていたものの、20分・30分と祈りあげていく中でそれぞれの周りの声におうじていつしか祝詞の紙を読まずに挙げてくれている。
神様のことを深く知らない方々も、神棚に祈りを挙げてくださっている方は多いようで祝詞を挙げる声も大きい・・・・・これはすごく助かる後押しになりました。
もう6・7年前になりますが初めて人を呼んで8人でやった神祭は正直、葬式みたいな静けさでしたからね(苦笑)
あれからわたしも正式に神職としての資格もとり、仲間も増えてみんなで声をひとつに祈れる喜び・・・・神祭とは決して形ではないことは承知の上ですが、なぜだかすごく感動した感触を今でも覚えております。
20分をすぎた頃、わたしの所に通信がまいりました。
祈りをまとめながら筆書きをするのは無理なので、さっそく打ち合わせ通りに祭主を副祭主のY君と交代。白い法被も似合っているし、なかなか良い感じです(笑)
さて五柱の神の祭り、それぞれの席につき今、準備おわっておる。今一つ、心通してくれればよし。天神
そこで急いで半紙に五柱の神々様のお名前を書かせていただき、席についてくださった順番にお名前の上に○をつけていく方法を思いつく。
まずはよき祭り、わたくしどもも心締め祈っておりますことお伝え申し上げます。それぞれの心、届いておりますよ。瀬織津姫
通信があった半紙は、まず祭主を交代してくれたY君に渡して目で読んでもらう。その次に後ろにいる方より順にまわして神世での状況を把握していただく作戦です。
今日の日のため、わしらも衣替えここに参りたこと。今の世ながめ、真の想い持つ人間がいくらおるかと考えるより、わしらの力存分に使い、いかに世をつくるかを考えた方がよい。五十猛
わたしのイメージの中では絡まった糸が一本一本スルスルとほどけていくような、、、、いえ、用意してあった車をみんなで押して、それがだんだんと加速していきそこに神々様の力も加わり山道さえも登っていけるような感覚でしょうか・・・・・・・
皆の祈りがまとまるまでに1時間ほどかかると気合いを入れていたのですが、想像以上に車は加速度を上げていく・・・・・・あれ?おかしい。こんなにスムーズにことが運んでいくのだろうか。まるで「五柱の神の祭り 九」 で書かせてもらった波折神社で祈った感覚に近く、かなり警戒しておりました。
「なんか手ごたえが違う。こんなにスムーズにいっていいのか?なにか忘れていることはないのか?足りないものは??」
これだけの人数の用事を調節してもらって、それぞれが準備したものをお供えして、緊張の中であってももう一度心を込めるのは、違う祭りはあったとしても「同じことを同じように」というのは不可能に近いです。あとから私の杞憂だとわかったのですが、その時は頭の片隅でいろんなことを考えながら祈っておりました・・・・・・・
さてそれぞれの者に玉石を持たせよ。己の想いをこの玉に込め、これからの己らに想いをよせるが良い。いずれ大きな力となろうこと約束するでの。天神
祭りの前日、本番の進行の確認をしている最中に、「人数分の百玉(水晶)を用意しておくこと」と筆書きで指示をいただいておりましたので、たまたま会社に在庫としてあった13個の水晶を思い出し、清明水に漬けておいたのが役に立ちました。水晶の数は一つ多かったのですが、本来は師にこの祭りに参加して欲しかったのですが今は足が動かず師の家から事あるごとに繋ぐ日々・・・・・・13個目は参加できなかった師の分かも知れないと密かに考えていたのですが、言われた数より多くあったので助かりました・・・・・・これで足りなかったら前日にまた頭を悩ますことになったはずです・・・・・・・・・。
小さな水晶を、それぞれの手のひらに入れてもらって祈りを続行です。
さての。山は山であるように、海は海であるように空は空であるよう、人は人であるようにの。永久に続くものはなくても一つあるとすればそれは人の心のみ。ぬしらの祈りの声、わしらの耳によう届いておるで。欲は必要なものじゃが、不必要な欲もある。願わくばぬしらの欲が真の意味で広く大きい欲であるよう。また己の欲にそえる己であるよう。わしらも祈っておる。大国主
あなた達に家を平和に。生業を繁盛させたい。人間関係を円滑に。という想い、人である以上かならずありましょう。しかしその心底に清らかなるものなくば、人の想いはつみ重なりし一方、いずれ己自身が苦しみ消え去ってしまいます。神世の祭りとは人世の祭り、共にこれよりの世のため力働かせましょう。瀬織津姫
「己自身が苦しみ消え去ってしまう・・・・・」、、、、、、さらっと言われておりますが、これが神様のセリフかと思えば瀬織津姫様はなんと恐ろしい神なのかと(汗)苦しみと一言でいわれても肉体的な苦しみはもちろんですが、やはり個人的には一番大きな苦しみは精神的な苦しみです。「欲はあっても良いが、根底には清らかさ(人間としての何かが突き抜けた清々しさ?)」がないと一生を苦しみの中で消えることになるとは・・・・・・・ただでさえ貪欲でそこからくる迷いも多いわたしはもう一度、考えてみる必要がありそうです・・・・・・・
神様のお言葉、文章は簡単なのですが簡単なだけに逃がしやすく、底が深すぎて音がしない、一見浅い川のようにみえる言葉が一番恐ろしい・・・・・・と何度も経験してきました。
世の中なんでもそうですが、「当たり前」が一番難しいんですよね。
さてこれでまずは良しじゃよ。ようそれぞれ心通りておる。それぞれおのが玉石浮けばよし。塩
祈りは長すぎれば集中力が切れます。
途中で休憩をいれようと考えていたわたしでしたが、車を押す手をしばらく休もうとすれば神様が後ろからドンドンと勢いを増して押してくる感覚、、、、これは初めてでした。さらに、”玉石浮けばよし” 玉石とはそれぞれが祈りのあわせる手の中で入れてくれている水晶が「浮けば」次に進んで良いということ・・・・・・
こ、これはハードルが高い・・・・・・・・・
手に玉石をもって一度祈りだせば、休憩は無しでぶっ続けで祈りつづけないといけないぞ・・・・・
休憩中に玉石を手から外すのは良くない気がしてですね、、、、、祭りがはじまってすでに1時間半は経過していましたから、少し考えました。
(このまま祭りを続けるしかない)
(しかし、最後に残った方は果たしてその合わせた手は上に上がるのだろうか)
(本当に大丈夫なんだろうか・・・・・・・・)
わたしが2回、祈りの中で柏手を打てば一度、それを最後の奏上として祈りを止めていただく約束をしておりましたので、皆さんには申し訳なかったのですが覚悟を決めて、一度ここで祭りを止めます。
「え~っと、今まわっている筆書きを読んでいただいたら分かるとは思うのですが、次は自然に手が上にあがっていった方から祝詞を唱えるのをやめてください。あ、それから今からは目をつぶってあんまり周りをみない様にお願いします(苦笑)」
「えぇぇーーーーっ、まだ読みながらじゃないと挙げれないんですが・・・・・」
「そ、そうですよね~そういう方はどうぞ、遠慮せず読みながら挙げてください。」
こんな感じの指示が精一杯だったのですが(汗)
・・・・・・・・・・・が、予想通り見事に一人残る羽目になってしまいました(爆)
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