- 2017-10-09 (月) 2:15
- 神祭
祭主はわたし。副祭主として、前回の祭りでも活躍してくれたY君。登山といえば、「英彦山(日向)神界開き ~光の道~一」でだらしのない私たち?を励まし励まし、先頭切って登ってくれたA君は外せない。
そして、『祈り手』。
人数は多い方が良いと考えたが、この度の祭りはそんじょそこらの祭りではない。
「西の岩戸」
それは神はじめの国、怡土国にあってあらゆる界と通じていると言われる岩戸。
師をはじめとする神祭グループが、もう何十年もかけて祈り通し、我が師の先生に当たる方から、
「君はあの世に行ったらこの岩戸を守りなさい。」
なんてことを師は言われる(丁寧に断ったらしく、師らしいんですが(笑))ぐらいの、福岡や全国に存在しているであろう最強の部類にはいる、俗にいうパワースポット的な場所でして、、、、、、。
わたしも弟子入りしてしばらくは連れていって貰えず、数年経ってようやく一度連れていってもらったきりの場所。
あの日は一月の雪が吹雪いている中でかなり長い時間祈りを通し、最後に雪が止んで大きな岩戸に日の光が当たってキラキラ輝いていた場所。・・・・・・・・・一生、忘れないであろうその風景。
「よし。これで良い。」
なんて言った師の言葉が昨日のように蘇る・・・・・・・・・
こんな時にいうのもなんですが、『西の岩戸』 のキーワードが今回出てきた時の最初の師の発言、
「お前さん、岩戸には連れていったことはあるかね?」
「・・・・・へ?・・・・・・・・また??」
なんてぶっ飛んだことを言われて(実はこれ言われたの三回目ぐらいです。その度、否定していたのですが・・・)
「マジか。この人、大丈夫か?」
って今回も本気で思ったんですけどね。わたしはあれだけ感動したのに。
まぁ、その時の「感動」ってやつに個人差はありますよね。・・・・・・仕方ないってやつですよね。ってか、あれだけ感動したのに。
そんな岩戸なもので、そこを守っておられる方々も超一流の恐ろしい方々ばかりなのです。。。。。
城は造っては落城、造っては落城の繰り返し・・・・・その名も 「怡土城」。
糸島の「いと」は、現在では 「伊都」 と表記され、美しい名で飾られておりますが、昔は「りっしんべん(志)が立つ土台としてある場所」との意味合いが深く、九州大学が移設され見る見る間に発展している最中ですが、昔はそりゃもう、まさに 『神々の國』 、今でも活躍している・眠っている神様の数は他に類をみません。
最初にこの城を造ったのは、吉備真備。
今の中国から戻った吉備真備がいろんな技術と呪いをかけて作り上げたであろう、その名に怡土の冠を持つ 『怡土城』。
途中、千人塚と呼ばれる、どういう理由なのか浅学の私にはわかりませんが高麗の方々の首が千人以上今も埋められているという場所でもあり、こののち詳しく書きますが山神供養している最中もまだ至る場所で、切り合いの戦の最中を未だに続けている人たちが感じられる場所でもあります。
正直、守っていらっしゃる山神様たちの歴史の深さも段違いなのです。
そんな中、一番に私の頭の中に浮かんだことは、
「連れていったメンバーが、おかしなものを連れて帰らないか・・・・??」
これだけがずーーーーっと頭の中にありましたし、何よりも師の教えのなかで祭主が一番気をつけなくちゃいけないことだったんですね、はい。
Y君は数々の祭りを一緒にする中で、本人は結構鈍感なので(笑)わかってるのか、わかってないのか知りませんがメキメキと霊能をあげてきております、、、、、、が、まだ違和感を肌で感知する・霊視ができる・通信が可能、までは至っておりません。(この件に関しては、少し私の見解を修正しなければいけない事になりますが、、、、)
そこで思いついたのが、大阪在住のあのお方。
コメント:2
- 金シャチ 17-10-13 (金) 21:40
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こんばんは!
大役を拝命されました事
お喜び申し上げます。 - 管理人 17-10-15 (日) 2:18
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金シャチさん
こんばんは、ありがとうございます。みんなそれぞれ、生まれた時から役を背負ってます!押しつぶされないよう、精進いたします
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