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神筆 ~筑紫国神示~
出雲神國之御祭③
- 2023-10-08 (日)
- 神祭
LINEの会話を辿れば、2月23日~2月26日まで、さまざまなアドバイスをRさんから頂く。
ご本人は別動隊として、1人でいろんな社へと参拝され(いつ・どこの社に参っているのかは誰も知らない(笑))、その中で気づいたことや感じたことをこまめにLINEグループに落としてもらい、皆で共有する。必要であれば、それぞれが考え、また筆を執り、また感じたことをコメントとして残す・・・
決して効率を求められる世界ではないのですが、今振り返って考えてみても少人数の、資金も時間もない期限だけがある環境の中ではこのソーシャルメディアが力を発揮してくれます。使えるものはしっかり使わないと、ね(笑)
「自分たちが祈りに行くと言っても、その後ろ背にはご先祖様方々や守神の方々が一緒に行くことになる。なので、祈り方によっては、自分たちに付き添ってくださっているご先祖様や守神様の真価も問われることになる。その方々に恥をかかせない祈りを期待しているよ。」
出雲神國之御祭②
「久延彦さまより、”宗像さま”とのお言葉が出て参りました。。。。」
本来の祭り、今までの師匠との祭りであれば・・・まずはとことん、筆書きをしまくってですね。夜から朝にかけて、とにかく神様に話を伺いまくる。わからないことがあれば、とことん質問し、解釈の違いで神祭そのものがズレてしまったり、トンデモない明後日の方向へ行く可能性を考慮して何度も聞きなおす。
また答えてくれない、その神様の口から言えないことも多々あるようでして(この辺りの神様のルールはさっぱりわからん・・・・)、それならばと人間的に知恵を使って答えてくれそうな神様を捜したり、あの手・この手で質問内容を変えて無理に口を開いて頂いたりと(笑)それでもやってる内にイレギュラーが発生してはまた修正して・・・・・実はこの繰り返しの20数年でした。
が、今回は大きく違います。
出雲神國之御祭①
ながらく時間は空きましたが、ようやく一区切りつきましたので忘れない内に更新します。もう三年も経ったんですね、、、、
実は、この祭りが始まる「2022年3月8日」に一つの祭りを終え、その際に行き詰った自分は兄弟子Rさんに助けを求めてからアドバイスを頂いておりますが・・・前後しますが、これもいづれ記録に残すとして。
早いです。人生、早すぎます。
今年(2023年)の2月から始まりました「出雲神国之御祭」、ようやく昨日、幕が降りました。
まずはご協力頂きました皆様方、心からお礼を申し上げます。
まだまだ未熟な自分たちを陰より支えてくれて、ここ一番で指示を出してくれたり、メンタルのフォローをしてくれたり。神祭においてはいろんなアドバイスを下さった兄弟子Rさん。自分が祭主を務めるようになって副祭主の立場として、事細かに現状の把握や経路の下調べをしてくれる山本クン。体力的に皆を引っ張ってくれて、純朴な真っすぐな信心をいつもみせてくれる赤穂さん。八大龍王様と特別なご縁があって、そのフットワークの軽さと信仰には忠実なTクン。Tクンは忙しい中、今回から記録係もお願いしました。ありがとね。
そして大阪から祈りの手伝いをして下さいました大阪さん。本当にありがとうございました。無事にひと段落はつきましたよ(´ー`)
二転三転と転がりました、この度の祭り。正直、神祭のタイトルまで迷いましたが最後はこれで行きたいと考えております(変更あるかも?)
世間のしがらみは、しがらみったままですが、神祭においては半年以上にわたり、あの神社やこの神社へ走り回り、途中で亡き師匠も手伝ってくれてとりあえずのひと段落です。途中、自分の小遣いでは賄えなくなりましたので、カフェの再建との名目で集めたお金も使わせて頂きました。ご支援くださいました皆様の力でここまで行けたと心から感謝しております。
さて、前置きが長くなりましたがポツポツと記録に残す為、ようやく更新していきます。
令和の慰霊祭⑦
まずは吉田神社でお供えしたものを、糸島の海へ流す。
そして、車で移動。
4人で宗像の旅は本当に楽しかったです。もちろん、神祭そのものはまだ完全に終わっていないので、気は抜いていないつもりでしたが、「あぁ~なんか懐かしい感覚だなぁ~」との想いと、「これが新しいメンバーで新しい神祭の雰囲気なのか・・・・」との両方の想いが交錯する中、宗像大社へはアッという間に到着いたしました。
さっそく本殿で、簡単ではございましたが今までの流れと、無事にここまで来れたことへの感謝、最後の仕上げのお力添えとこれからの御力を発揮していただく事の依頼、そして神々様の弥栄・・・・考えたら結構、欲張りですね(汗)
まずは本殿でご挨拶をする。
令和の慰霊祭⑥
- 2020-04-24 (金)
- 神祭
「神の祭りは、人の祭り」
これは師の受け売りですが、神様が祭りを行う時は、同時に人が祭りを行い、その後も神様方々はより一層強い力で働いて下さる。自分たちも、「神祭は終わった、、、あ~良かった。」ではなく、そこから個人個人の祭り(パラダイム転換による心境の変化、人生の変化)があって初めて神祭と呼べる・・・・いえば、相乗効果を生むのではなか・・・・と。
そうすると、『亡くなられた方々』(祭の主役?)は神界に近いのか、人界に近いのかは存じ上げませんが、そこにもきっと「パラダイム転換」は必要になってくる。
ただし、それを強制する訳にはいかない。
わたし達が時代の先人たちに感謝を伝え、霊を慰撫するのは当たり前だと考えてます。
※この霊には、おこがましくも神霊も含まれているのではないかと・・・
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