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五十猛様一族の神祭 壱  祭りのはじまり

  • 2009-05-18 (月) 11:55
  • 神祭

2009年 4月 某日。

突然、天才的な霊台の才能をもつ紫さんの筆が走りました。

すべては神様より頂いたこの一言より、はじまったのです。

遠き日の事。闇夜は輝く月を抱きて。月に纏(まと)うむら雲の間を通り。天より下りし一本の剣。鈍き光を放ちて。山の頂にと突き立つ。この剣ただの剣にあらず。貴き神の御魂(みたま)宿す剣。この剣神の剣として人みな手を合わせ頭をたれる。ここに祀らるる神。この日ノ本の名をつり勇ましくあり。しかしこれは逸話の名にあり。真の名を解き明かし。その功績を誉め讃え。さらにと腰紐きつく締め立ち上がられれば日ノ本は新しき夜明けを迎えようぞ。 国常立

この筆書きには一同、驚きを隠せませんでした。考えれば考えるほど、なぞなぞの様な呪文のような言葉。最後に書かれたご神名は紫さんを守られる守神様の言葉でもあり、ほおっておく訳には行きません。

慌てて一緒にいた私も筆をとります。

さて五色の旗印。曹殿(私たちの師)よりはじまりた怡土(いと:昔の糸島半島の地名)の祭りも国の栄えもの。真に時があればと急いではおったが、今ここに曹殿より始まりてそれぞれに立つと申しても、今は一本一本がワラの状態の時。ここより続く祭り行うてもらう者々ここよりはじまる時、それぞれの魂の内に入られた次なる代の神々、真であればの、一本でも多く芽がでるようにと祈ってもおるが今の世とはそう、やすやすとはわしらの願いも届きにくい。今ここにおられし紫殿と雲(わたし)をまずは基とし、岩長姫の姫の大神天上に上がられても天照の神と今はそう呼ぶが、それぞれの心の中にある光よりまずはかための時。宇佐の後祭りも今はまだ早く、入り口に立たれる五十猛(いそたける)の神よりまずは祈りとおす事が良いと思うが。  ニニギ

神々様もすべてを一度にお答えになられない理由もあるのでしょう。これも相変わらず半呪文の謎のような言葉。

師より独立された神祭を行うグループは今では正式な数で言えば10のグループに近く、また個人での祈りを入れれば数え切れないぐらいに枝分かれをした団体です。

私をはじめ紫さん、後に出てくる仲間達にしても多くの祭りに霊台祈り手として参加させて頂きましたが師が引退した今はまだ一本のワラに過ぎない。まずは協力しあってここでスサノオ様の大神様の御子神様にあたられる 「五十猛の大神様」 の祭りを行うという指示が出たのまでは理解できました・・・・・

しかし・・・・・・何を・どういう目的で・どのように祭るとは依然、霧の中でした。

そのまま引き続き、紫さんに筆を執ってもらいました。

質問:どこの社に行けばよいのですか?

さての、いくつかと分れし所におられるが、この申される社は剣神社と申すところ、九州の内にあるでの。 八大塩

「剣神社」とは九州内に数多くありますが一箇所、私たちにとって縁の深い神社が思い当たりました。それを今度は単刀直入に伺ってみる事にしました。

質問:直方市にある剣神社でよいですか?

ヤマトタケルの名で祀られておればそこでよい。 八大塩

・・・・?・・・・・??・・・・・・・・???

ここまでのお言葉を頂き、正直に言って余計に私たちはパニック状態。

「貴き魂が宿った剣を持つ神様」

「天照と呼ばれる岩長姫の神様」

「五十猛(いそたける)の神様」

「ヤマトタケルの神様」

次々と神様が漏らされる今回の祭りの内容に繋がるご神名やキーワード。どこで何が繋がるのかまったく手探りのまま、何もかも釈然としないままでしたが人間の私たちがいくら頭をひねった所で解るはずもございません。その後、霊台を紫さんに絞って神様への質問を続けました。

質問:ヤマトタケル様について教えてください

さてヤマトタケルと申すは逸話の中の名にありての。その名をかぶる神ある事。そのうちの一神、天村雲五十猛神(あめのむらくもいそたけるのかみ)と申すかの 八大塩

・・・・・なるほど・・・・・ここまで来てようやく、少しずつ絡み合った糸がほどけ始めました。いぇ、今になって考えればほどけはじめのたった一つの「きっかけ」だったのですが、ここまでで自分達が理解できた事がございました。

スサノオ様の正式な王位継承権を持たれる御子様である五十猛の神と、景行天皇の御子であった日本武(ヤマトタケル)の神には歴史的隔たりが長すぎます。神示の中の 「その名をかぶる神」 とは 「天村雲五十猛の神」 と呼ばれる神の功績を、逸話の中に生み出された 「ヤマトタケル」 という名に置き換えられ(ご神名をかぶせられ)その功績が表に表れなかった、消されてしまった事。

また本来、日本武(ヤマトタケル)の神とは日本の神話では多くの活躍があり、おそらくそのモデルとなられた神は数多く実在されたのでしょうがあまりにも不明な点が多くもあり(特に活躍された寿命の長さ)何神かの神々がそのおくり名として使われた名(称号)だったのではないかと。

一歩前進したかと思いきや・・・・・・実質、頭の中は三歩以上さがってしまいました。

「天村雲五十猛の神」

初めて名を聞くこの神は、今まで私たちが存じ上げている 「五十猛の神」 とは別の神にあたるのか?また私ともまったく縁がない訳ではなく、また歴史書にきちんと記載されてその存在がはっきりとしている 「天ノ村雲(あめのむらくも)の神」 とは同一神なのか?または別の神様なのか?別の神様なら何故ここで関係した名前が出てくるのか・・・・???

もうすでに頭の中はごちゃごちゃとしてきました。

神々様との問答は続きます・・・・・・

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コメント:2

とも 09-05-19 (火) 8:56

おはようございます。

神様は有りのままの事実をお伝えになりたいのでしょうか?

書物に書き残してあるとはいえ、真実がきちんと伝わっているでしょうか?
こんな事と比べたらだめかもしれませんが『伝言ゲーム』でさえきちんと最後まで『正解』が伝わりませんよね。ですから、管理人様のグループで真実の『平成版 神様の足跡』みたいな本を残されたらどうでしょう。

09-05-19 (火) 17:34

はじめまして、管理人様

同じ地元なので、よく見させて頂いております。

私は、ここ1ヶ月程よくヤマトタケル尊 様のことを考えておりました。

唯一、国の名前が、ついておられる神様でしたので

どこに居られるのかと思っておりました。

とくに昨夜は、どうして、出てこられないのかと深く考えて

おりましたら、本日、こちらを拝見しましたらビックリいたしました。

個人的にシンクロしたことですが、非常に驚いております。

続きを楽しみにしてます。

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